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全羅北道の紹介

全羅北道の歴史

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伝統と未来のハーモニー 全羅北道

悠久な歴史の中で、きらびやかな文化と技術を守ってきた全羅北道。
山紫水明な自然と共に、未来に向かった力強い跳躍を成しています。
伝統と未来の調和の中、東北アジア時代のハブとなる全羅北道は明日の主人公を目指します。

沿革

660年(百済 義慈王20年) 羅唐連合軍により百済が滅び、
  • 唐の(熊津都督府を設置)統治を受けましたが、676年(新羅の文武王16年)に唐を打ち払い新羅の領土となりました。
統一新羅時代 685年 全国に9州5小京が置かれ、
  • 本道に完山州(現在の全州)と南原京(現在の南原)が置かれました。
892年(真聖女王6年) 甄萱(キョンファン)が後百済を築き、
  • 後百済の中心地域として50年間余り存続したものの、後に統治され、936年に後百済の神剣(シンゴム)の代に高麗(太祖王健)に帰属しました。後百済は900年から高麗に帰属するまで完山州(現在の全州)を都として定め、全羅道一帯を統治しました。
高麗時代 996年(成宗14年)、全国を10道に分け、
  • 本道は江南道へと名前を変え、4州(全州-全州地方、瀛州-古阜地方、淳州-淳昌地方、馬州-沃溝地方)がを設置されました。
    1018年(顕宗9年)、全国を5道の両界(高麗時代の行政区域)に大きく分け、江南道(全羅北道)と海南道(全羅南道)を合わせて全羅道と呼び、全州に按察使(地方長官)を置きました。
朝鮮時代 1413年(太宗13年)、全国の行政区域が8道制に整備され、
  • 全羅道は全州に観察使を置き、現在の全羅南道、全羅北道と済州道にわたる1府4牧、4都護府、12郡、31県の地域を管轄しました。
甲午更張時代 1896年(高宗33年)、全国を13道に分け、
  • 全羅道は全羅南道と全羅北道に分割され、全羅北道は26郡へ改編されました。
日韓併合以降 1910年、全国を13道12府317郡に改編し
  • 沃溝郡の一帯は群山府へと変わり1府27郡となり、1914年に行政区域の府・郡を統廃合し1府(群山)14郡(完州・益山・沃溝・金堤・井邑・高敞・南原・淳昌・任実・長水・鎮安・茂朱・扶安・錦山郡)となりましたが、1935年に全州邑が全州府に昇格し完州郡と分割されました。
政府樹立以降 1949年に全州、群山、裡里府が各々市に昇格し、
  • 1963年には錦山郡が忠清南道に、全羅南道蝟島面が全羅北道に改編されるなど行政区域の調整がありました。
    1981年には井州邑と南原邑が、1989年には金堤邑が市に昇格し、全州市には完山区と徳津区が設置されました。
1995年、都農複合形態の市の設置により、
  • 沃溝・井邑・南原・金堤・益山郡と群山・井州・南原・金堤・裡里市が統合され、群山市、井邑市、南原市、金堤市、益山市に変更されるなど行政区域の改編を重ね、現在は6市8郡の行政区域で構成されています。